〜 ヨシベジ曼荼羅 〜

わたしは地球 ひとつらなりのいのち

自然と共生する循環型の世界を 日々の暮らしから

植物料理研究家YOSHI

こころについて久しぶりに ~エックハルト・トール~

とてもつらい思いをしていて 自殺を 考えたことがありますか?

 

または大切な友人や家族を そのように失って 深く悲しんだことがあるかもしれません

 

わたしは 自殺をするのは勇気がある人だ そう思っていました

わたしには その勇気さえない、自殺する価値さえない そう思っていました

わたしはいちゃいけない 「消えてなくなりたい」

そんな思いに 長いこと とらわれていました

 

小さい頃から そんなこころの暗闇と一緒に生きていました

大人になって がんばってたらいつか暗闇は消えるかもと思っていたけれど 全然

 

わたしの場合は 暗闇と同じくらいの質量で 光 が見えてもいました

 

晴れの日があり 誰かの役に立てて嬉しい日があり 無心になって何かに打ち込める日があり 

 

なにもできないときでも 呼吸は無意識のうちに流れ トイレに行ってすっきりし 

お腹が空いて食事して満足し 眠くなって眠りにつき 日の光に目を細める 体が勝手に再生している

だれかに会ったり わがままを言ったり 笑いあったり ちょっとした優しさにハートが湧いたり  

 

よくよく見てみたら ずっと暗闇ってことは ないのですね

真っ暗闇の隙間にも 光はちゃんと入っている

 

光と暗闇は相対的なもので 移り変わるこころの風景に過ぎない

 

あるのは いま在る ことだけ

わたしという命が呼吸をしている間は

 

 

自殺は しなくていい

そう言いたくて

 

特定のだれかに言いたかったわけではないけれど

わたしが経験した生きづらさは ちゃんと 共有財産にしておきたくて

 

 

***

 

現代のスピリチュアル・リーダー、イギリス人のエックハルト・トールは、物心ついたときから希死願望があるような子どもだった。

20代の頃、いよいよ自殺願望が高まって「わたしはもうこんな自分と生きるなんてまっぴらだ! I can’t live with myself any longer!」そう心が叫んだ時に、はたと立ち止まった。

 

このわたし” I ”と、自分 “myself” 、2つのわたしがいる、その関係は!?

自我があり、悩み苦しみ喜び、アイデンティティを形成してきた私=自分だ、と思い込んでいるけれど、それを超えたわたしという存在に気づいたのだそう。

それは、種としての人類と一体であり、宇宙の秩序の一部であり、恒久であるわたし。

そんな気づき以降、自殺を願うこころの動きから、彼は完全に自由になり、ユーモラスな語り口で、自我からの解放について世界各地で講話をしています。

自身の苦しみがきっかけとなり、すっかり目覚めちゃった人です。Youtubeでも彼の話は聞けるので、興味をもたれた方はぜひ、見てみてください。ちなみに、宗教や特定の思想とは関係ありません。

 

辛い体験は、今はそれがどんなに辛くても、ギフトなのだ。わたしが今になって、うっすらとそう思うのは、その先にはなんでもない世界、絶対大丈夫な世界があると、どこかでわかっているから。

 

そして、わたしたちの個人的な体験は、それが精神的なことであれ外的なことであれ、種としての人類全体にとっての共有資産。体験して、経験して、わたしたちが自我を超えていく過程での。 

 

 

 

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-

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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

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  • 作者: エックハルト・トール,Eckhart Tolle,あさりみちこ,飯田史彦
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世界中の小さなわたしへ 〜Kolkata Awakening〜

alginjardin

 

インドに来て約1週間。

今日で日程を終えて日本に戻ります。

 

朝5時に起きる習慣がそのままインドでも続いていて、がんばってベッドに張り付いていても3時頃に目がぱっちりしてしまいます。

 

ブルックが教えるセルフコーチング(こころの学び)のなかで、「思考のダウンロード」というタスクがあります。

朝、10分でいいから今頭のなかにあるものを全部書き出して文字化してみる、というもの。人に見せるためのものではありません。

実践している人、多いでしょうね。私も書き出すというのは長年やってきました。

 

大事なのは、そこに出てきた思考の癖に気づいて、自分の望む思考に変換していくことなのですが、わたしはそれがあまりうまくできなかった。

自分のネガティブ思考に気づいているので当然それをよいとは思っていなくて、変えようとしても焦りやパニック症状が出て、なにか圧倒的に強い力で引き戻されてしまう・・・

ブルックのセルフコーチングに出会う前も、わたしは心理療法士(カウンセラー)という専門家の力を借りて、自分自身のこころの学びを続けていました。

 

カウンセリング作業での学び、そしてセルフコーチングでの学びは、アプローチの仕方が似ているようで違います。

 

カウンセリングは、過去にさかのぼって気づきを得ていく。縛られていたものをほどいて、現在・未来への生き方をラクにしていく。どちらかというと、自分でほどきづらい深刻な問題を、ほどいていくためにあります(わたしの解釈)。

 

ブルックが教えるセルフコーチングは、望んでいる現在・未来から、過去に対する自分の思考を変えていく。自分のポテンシャルをさらに高めていくためにあります(これもわたしの解釈)。

 

カウンセリングとコーチング、どちらも、要らない力を抜きながら自分らしく今を生きていくためのサポートツールであることには変わりありません。

 

 

早起きのコルカタの朝のこと。

そのふたつが協力しあったような、大きな気づきが起こりました。

その体験をぜひ、ここでシェアしたいと思います。

 

 

その朝、なにがあるわけでもないのに、焦りと不安でなにも手につかず、ホテルの部屋をうろうろするばかりでした。

思考ダウンロードをしようにも、集中できない。無駄に時間が過ぎていきます。

 

仕方がないので、大きな真っ白のベッドに横たわって、シャバーサナ(死人のポーズ)でただ深い呼吸をすることにしました。

呼吸が心地いいのを感じながらそのまま続けていると・・・。

はっきりと思い出せなかった、いやあまり思い出さないようにしていた、わたしが小さい頃のいくつかの出来事が、意識のレイヤーの最前面に浮かび上がってきたのです。

 

意識のなかの息が苦しくて、体が硬直していきました。

 

うわぁこれはきついなあ、と何度も心がつぶやきながら、今それを観察してあげるときなのだということはわかっていました。

とても鮮明に、メッセージがこっちに向かって流れてきているからです。

パニック発作手前の苦しさを覚えながら、大丈夫だと言い聞かせながら、見ていくことにしました。

 

それは、小さい頃に数回受けた、性的いやがらせの記憶でした。

見知らぬ大人から受けた、いわゆる痴漢行為です。

 

よくあることで大したことはない、こんなことに傷ついたり動揺していてはいけない、と平静を装い続けてきた記憶でした。

小さいながらに人にいうべきことではない、とも感じていました。

 

感じているものをただ観察していると、その苦しさの正体は、いやがらせ行為という出来事ではなく、恐怖や罪悪感、混乱、そういった複雑な感情をだれにも表現できずに抑え込んだ小さなこころのほうにあることが、はっきりとわかりました。

 

と同時に、うずくまって、胸が張り裂けそうになりながら一人で空中を睨んでいる小さい子どもが見えました。

 

この子どものビジョンは何度もも立ち現れていて、子どものわたしだということも知っていました。

このビジョンが現れると、今までのわたしは、そっぽを向いて立ち去るか、冷ややかな視線を投げていることしかできませんでした。

 

この朝、性的いやがらせ行為を再体験していったわたしの彼女(子ども)への態度は、まったく違いました。

 

初めて、大丈夫だよ、と声をかけて、子どもの体を温めるように抱きしめてあげることができたのです。

義務感などまったくなく、とても自発的に。

愛おしく、子ども特有のいい匂いさえもするようでした。

 

やっとです。

わたしの中の小さな子どもをこの手につかみ、愛するのに、半世紀近くかかりました。

 

わたしが脳内で起きている過去の映像の一部始終を見ている間、わたしのカウンセリングマインドと、コーチングマインドが立ち上がって、そのふたつが協力しあって、混乱しそうなわたしを救い上げているようでした。

 

この瞑想のような時間の終わりに、これはわたしだけの経験ではなく、古今東西の無数の子どもたちが経験してきたことなのだ、と知りました。

今も。

 

 

世界中のたくさんの小さなわたし(=あなた)を想いながら、今ムーブメントになっている ”me,too”じゃないけれど、ここにシェアします。

 

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コルカタのモンスーンの空

 

 

メッセージはこちらに�

yoshiveggieworkshopあっとまーくyahoo.co.jp

あっとまーくを@に変えてね。

 

 

 

 

 



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Parisの味覚以上の出会いが待っている旅

 

Clotilde Dusoulier(クロチルド・ドゥスリエ)は、パリで活躍するフードライター。

 

 

クロチルドのブログ、"Chocolate & Zuccini" チョコレートととズッキーニには、プラントベース、つまり植物性のベジレシピもたくさん登場します。

 

 

クロチルドの新刊「Tasting Paris パリを味わう」

日本でも買えます。

 

 

彼女のブログは英語とフランス語なのですが、美しい写真を眺めているだけでパリの街中を散歩しているような気分になれて、心ときめきますよ。

普段着のパリが好きな人には、強くオススメします!

彼女は日本も好きみたい。

 

今年になって彼女は新しくPodcastの配信を始めたので、聞いています。

わたしのフランス語は、20年近い独学万年ビギナーレベルなので、彼女の心地よい声をただ聞いてるばかりなんだけど。

 

 

https://www.changemavie.com

 

 

それが、パリの美味しいもの案内の次元を超えて、クロチルドのフードブログからわたしの発見の旅が展開していくなんて、想像もしていませんでした。クロチルドはすこぶる魅力的なフードライターで、いつか会いたいなと憧れを抱いていた特別な存在だっただけ。

 

 

Podcastのテーマは彼女の専門であるパリの食ではなく、彼女の人生を変えた様々な教えについて。

 

笑顔がとても素敵な女性なので、この人はどんな人生を辿り、どんな知恵を生きている人なのだろう、と興味をもって聞いていたのですが、聞いていると、「ブルックのモデル」という言葉がたびたび出てくる。

 

ブルックって誰だろう、ブルックのモデル、ってなんだろう?とまずはブルックシールズを検索してみたわたし。(彼女は相変わらず綺麗)

 

Brooke Castillo ブルック・カスティーヨ

https://www.youtube.com/channel/UCnjI8tPpOfTqdIXFGQI72AQ

 

ブルックは、クロチルドが最も影響を受けたライフコーチ、ブルックのモデルとは、彼女が編み出したコーチングモデルのことでした!

 

ブルックのコーチング手法は、状況〜思考〜感情〜行動〜結果を検証しながら思考パターンや行動パターンを根本的に変えていく方法。

 

彼女が得意とする分野は減量とビジネスですが、手法はすべての課題解決に通ずる普遍的なもの。そしてシンプル。

人生を変えるであろう具体的なエピソードが詰まっていて、ここには今わたしに必要な情報があると確信し、暇さえあれば彼女が配信するYoutubeやPodcastを、流して聞くようになりました。

 

あまりに肩こり(=心のコリ)がひどくて、スピリチュアルなヒーリングも、ポジティブ思考も受け付けなかったわたしにも、段階的に自力で自分の認識を書き換えていく彼女のメソッドに出会ったことは、目から無数の積年の鱗が流れ落ちていくような体験。

 

すべてのPodcast配信を、すべて日本語にして分かち合いたいくらいです!

 

クロチルド→ブルックから、さらに旅が続いて。

ブルックが師事する現代のグル、Byron Katie バイロン・ケイティのことを知りました。

 

 

戦死した弟の家族をワークする バイロン・ケイティのワーク (Youtube)

 

ブルックのモデルの原点になっているケイティのThe WORK。

長年の重度の鬱から、ある時突然ありのままの今の完璧さに目覚めた彼女が、4つのシンプルな問いかけと転換で心の中の真実を自分で見つけていく方法を編み出し、世界中で広めています。

 

目を見張るのは、ブルックもケイティも、その手法をインターネットという無料の場で惜しみなく共有していること。

 

今わたしは、クロチルド、ブルック、ケイティのもとで、自分自身のためのワークを始めています。

 

わたしが彼女たちから受け取ってきたものはとても大きなもので、どこから説明を始めようか戸惑うくらいなので、ここではわたしが今もっとも影響を受けているこの3人の紹介だけにとどめておきます。

 

興味がある人は、この3人の素敵な女性が分かち合うギフトを、ご自身でぜひ、ぜひ、覗いてみてください。

 

英語が得意でない人も、英語の勉強がてらにただ流しておくのもオススメです。(これ、わたしの英語学習法です)

 

それに、バイロン・ケイティの深い深い瞳は、言語を超えてこちらの心のなかにメッセージを注いでくるようです。

 

Byron Katie THE WORK

 

バイロン・ケイティのワーク 公式サイト

 

 

 

++新しいブログ引っ越し先は使い方に慣れず、試行錯誤です。

前よりも見辛くないですか? 早々に別のサーバに引っ越しするかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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弱みは

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ある人の姿勢や立ち振る舞いがとても綺麗で、見とれて(観察して)いたら、華奢だけれどよく張った肩をしていることに気づいた。

その肩をとても美しい、と声をかけた。

 

彼女は大きく首を振って「この肩が大嫌いで、コンプレックスなの」と言う。

遠目からも美しく見えるのは、肩の骨格がポイントになっているのだけど、本人としてはなで肩の女性になりたかったみたい。

わたしは「いやいや、こ・れ・が・す・て・き!」と力説したけれど。

 

黒髪とか、天然パーマとか、羨ましいって思うのに本人はそう思っていない、なんてよくあるように。コンプレックスに思っていることがそのまま魅力や個性ってこと、あるある。認めていないのは、本人だけ。

 

わたしの摂食障害の経験やその他諸々の生きづらさ体験も、ギフトだし宝物だと思うのにも、同じ理由がある。

程度は人それぞれでも、だれかが辛くなったとき役に立つことができると思うから。

内なる豊かな探検ができるから。

負に見えることも、受容したのちには、ユーモアや叡智に変わるはずだから。

 

 

美味しいヴィーガンレシピをたくさん紹介している人気ブログ、Oh She Glows のアンジェラ。

長年の摂食障害に苦しんできた。

その摂食障害があったから、食を見直し、自分自身との向き合い方を見直していくなかで、料理に目覚め、料理を通して彼女の人生がさらに切り拓かれていった。

http://ohsheglows.com

アンジェラが紹介するグルテンフリーのお菓子、しっかりアメリカンテイストでメリハリが効いていて、好き。

 

 

その当時、わたしがヘンテコな摂食行為をしていることは誰にも言わなかったけれど、姉のように慕っていたある人にだけ打ち明けたことがある(故人)。

彼女は手紙をくれて、「佳子にとって、食がとても大事なものだから、佳子の悲しみも食を通して現れるんだろうね」と書いてあったのを、今でも忘れない。

 

わたしの過食はマクロビオティックにのめり込んだ頃に発症し、飲食業についてから食事時間が不規則になると、なおさらだった。

 

摂食障害が消えて何年も経っても、わたしはお客さんに満足してもらいたいという思いで料理に打ち込むことはできるし、インスピレーションもたくさんやってくるのに、お客さんに楽しんでもらいたいと思っていることを自分のために用意して食事することについてはとても居心地の悪さを感じていた。

今もそれはある。

面白いことに、レストランでお客さんになって食べるのは感謝とともに手放しで楽しめるのだけど。

ヘンなヤマイ。

現れている弱みは、もう自分に隠そうとしないで、ただ見つめてあげる。

 

弱みはツボ。

弱みはカギの在り処。

そのなかに、磨かれたくて発見されたくて仕方がない宝石たちがキラキラしている。

 

 

 

 



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わたしのものがたり

 

はじまり

 

いつからだろうか、幼少の頃から、いいようのない不安感がそこにあった。

 

不安の対象があるわけではなく、ただ不安がわたしを包んでそのなかで生きているようだった。

 

それは恥ずかしいことで、感じてはいけないことで、わたしはごまかすために笑っていなければならなかった。

 

 

そしてティーンエイジャーになりかけの頃、不治の病いにかかった妹の闘病を機に、わたしに離人症状が出始めた。

 

現実感がなくなり感情が分離して遠いところにあるような感覚だった。ちょうど自分のエーテル体のサイズに霧がわたしを覆って、払ってもすぐに覆いかぶさってくる霧だった。震えや体の硬直、笑おうとすると顔が引きつったまま硬直する。

 

対人恐怖があったが、不登校の勇気もなく家事を言い訳にあれこれやっているうちにスクールバスに乗り遅れる遅刻の常習だった。

 

加藤諦三やPHPを読みながら、素直で気配りのできる明るい自分になるように言い聞かせ、それなのにちっともオカシイ自分を改善できないことを責める日々だった。

 

 

 

交わらない光と闇のなかを生きる

 

「お前には価値がない」という、わたしの内側に絶え間なく注がれる声。

 

そもそも価値がないわたしに価値が付加されるようにと、不器用に努力を重ねてみても、最初からそれは敗北感と絶望をともなっている。

 

暗闇の先に光を見つけようともがくなかで出逢ったのは、シャーリーマクレーン、バシャールをはじめとするニューエイジムーブメント(精神世界)とヴィジョン心理学、トランスパーソナル心理学。

 

大きな啓示を受けた。わたしが終に安心できる普遍的な場所をわたしの内に見つけたかった。

 

わたしの約半分は相変わらず絶望的な暗闇を生き、もう半分は光があふれる世界に高揚していた。

 

感覚が研ぎ澄まされたようになり、木々や人にオーラが見えるようになった。

 

 

暗闇と光の両極を不安定に行き来しながら緊張して神経が休まらない。

 

ニューエイジ的な拡大する感覚に高揚しながらも、油断していたらすぐに暗闇が襲ってくるから、常に自分を疑いの目で監視していた。

 

不安定な自分の扱い方がわからないから、こころとからだがフリーズして倒れてしまうまで、直感とパッションに突き動かされて動けるあいだめいいっぱい動く、それがわたしの精一杯のやり方だった。

ティーンエイジャーに出ていた身体症状は、自分を躾けることで抑えることができるようになっていった。霧のなかにいるという感覚も薄らいだ。

 

 

精神世界との出会いから、自然とディープエコロジーやガイア仮説に導かれてゆき、有機農業、社会科学へと視野が外に向かうようになる。

 

この分野を追求していると、自己価値への絶え間ない問いからつかの間自由でいられる。

 

レスターブラウンが「地球環境白書」を毎年発行し、地球環境問題が声高に警鐘されている頃だった。地球と人のために、この時代に生まれた人間としてやるべきことがあるという使命感に高揚した。

 

早る気持ちと問題意識があるばかりで、なにができるわけでもなかったのだけど。地元の仲間たちと、長崎でおそらく初めてのアースディイベントを立ち上げたり、自然志向のオルタナティブな店や人や活動をサポートするための紹介本をつくったりしていた。

 

 

そして自然食へと導かれていったとき、食を通して人と地球とのよりよい関係性を築き直すことができるだけでなく、いのち、生きることすべてをつなげられることに、これだ、と腑に落ちた。

 

そして今に至っている。

 

 

 

わたしがわたしにほんとうに聞いてほしいこと

 

天職だと思えるものに出会っても、自分の存在に関しては拠りどころが得られないままだからその間にもいろいろなほころびが現れる。

 

ノイローゼ、うつ、BPD(境界性パーソナリティ障害)的対人関係、摂食障害や自傷行為、パニック障害、自律神経失調症のありとあらゆる不定愁訴と、形を変えてはこころが助けを求めて叫んでくる。

 

自分のコントロールもできない人間に、人の役に立つことなんてできないという挫折感。

 

自分のことにばかり意識が向いていることに罪悪感がつきまとい、さらに自分への非難と監視を続ける。

 

だけど自分の問題が解決していないと、真に自分の外に飛び出すこともできない。愛情と承認を強烈に求めていて孤独を感じているけれど、不安定で緊張のなかにいるから、一人になりたくていてもたってもいられない。

 

心の片付けがちっとも完了していないから、気になってほかの物事に集中できない。焦る。常に時間がない感覚。

別のことをやっている間も、時間を奪われている感覚。他のことはどうでもいいからこの心をなんとかしたい!と叫んでいる。

 

わたしは、どこにもいかないのに。わたしは、わたしのそばにいつもいるのに。

 

 

リアリティ

 

どっちみち続く人生、淡々といけばよいものを、どうしてそうはできないのか。

 

わたしも含め当事者にとっては、不安がちょっとした不安というレベルではなく、生存の根っこをおびやかされているレベルの危機感であり、そういうリアリティを生きている。

 

幸せな時間を過ごしていても、なにか問題が起きるのではないか、幸せな状況が奪われるのではないかという不安が一方にあってからだが落ち着かない。

 

こころが淡々としていたら、生き方も淡々とするだろう。こころが安心していたら、安心を生きるだろう。こころが片付いていたら、部屋の中も仕事もオーガナイズがうまいだろう。

 

こころこそがリアリティなのだ。

 

これらはすべて、外に原因があるわけではなく内面で起こっているドラマなのだけど、こころが外に、生き方に反映される。

 

生きづらさが人間関係の破綻や経済破綻やいろいろなほころびを創る。

 

そしてグッドニュースなことに、その逆もしかり。

 

こころは創造の源だ。

 

 

弱音を吐いていい

 

からだの不調については割合話題にしやすくても、メンタルの不調になると言いづらいところがある。

 

あの人はメンタルが弱い、と笑っている人もよく見かける。

 

メンタル不調にそう悩まされず健全に生きてこられた人、メンタルを健康に保つ術を知っている人や、はたまた自分とは無縁だと思っている人、これらの人からしたらメンタル不調は、非生産的で時間の無駄に見えると思う。

 

後天性の精神疾患なら、なおさら自分に勝てなかった弱い人間と扱われる。実際わたしのなかにもそういう偏見の意識が存在しているし、こころの弱さに打ち勝てないことへの中傷を自分にずっと向けてもきた。

 

わたしは、メンタルの辛さや生きづらさを口にできるほうが、軽くなれると思う。

 

弱音を吐いてもいい世の中になっていいと思う。

 

そのほうがよりエコロジカルでもあれるのではないかと仮定する。

 

内側の、コアから湧き出るモチベーションがあれば、そう人は怠けるものではないと仮定する。だれだって充実した人生を送ってから死にたい。

 

 

自分の姿を見せる

 

旧ブログでも思い切ってネガティブネタを小出しに書いてみたが、それはわたしにとって大きなブレークスルーでもあった。そして、その人の深みからくる言葉が綴られたメッセージを多く受け取った。

 

わたしがじぶん事にかまけてテキストを書いているのを横でパートナーに見られるのなんてとても居心地が悪いから、わたしに近づかないでオーラを出しながら離れた部屋で書いてみたり。

 

こうしてわざわざブログで書くということが、良いか悪いかもわからない。

パートナーにとどまらず、仕事の付き合いがある人や、プライベートの付き合いがある人や、その両方や、わたしをそんなに知らない人や、これから出会う人の目にも入るということだから正直勇気のいることだ。

むしろこういう恥ずべき自分がいるのがバレちゃまずい、と必死で隠しながら生きてきたわけだから。

 

だけど、こころという内側の問題が幼少の頃からわたしのメインイシューであった事実、これがわたし。だからそのことを明らかにしておきたいのだ。

 

ショーアップ、姿を見せるということ。

 

そのあとの人の判断はその人のもので、わたしのものではない。

 

自分を出していくところから、ほんとうの分かち合いは生まれる。

 

実際、海外(とくにアメリカ)で、不安障害やBPDなどメンタルヘルスの問題を抱える当事者が、メディアで次々とショーアップして自分のストーリーを語っているのを見て、わたしのような例は世界共通にあることで、決してわたし一人のことではないことを知り、励まされてきた。

当事者たちの勇気に深いリスペクトを感じている。

 

なぜ励まされるのか。

自分のストーリーを語るというのは、 問題もまるごと含めた自己肯定の行為だから。

 

これは、LGBTQ(性多様性)のテーマにも共通すると思っている。もちろん、言わないのも自由。(このことについては後日)

 

 

摂食障害に悩んだ際に、その自分を受け入れることで過食行為が消えていったこと。

 

ふるえが止まらなかったときに、ふるえる自分の手の平をじっと正面から見つめることで、ふるえがおさまっていったこと。

 

その体験は、わたしのキラキラと光る宝だ。そしてこれからも心の謎を解いてくためのカギだ。

 

そんな宝を独り占めしたくない、わたしはそう思う。

 

 

 

メッセージとつながる

 

ほころびがいつもわたしに変化のメッセージをくれる。

 

ただしメッセージの聞き方受け取り方にコツがある。力ずくのポジティブ思考や鼓舞していくアプローチはもう効かない。

 

そんなときはじっくりと向き合ってくれる専門家の力を借りることもいい。なにが問題だったのか、見つめることもいい。

 

わたしにとって、専門家のもとで二人三脚のようにゆっくりと、こころのメカニズムを観察してこれたことが地味で地道だけれども大きな変化の力になっている。

 

こころに展開するのは自分のストーリーで、人や環境がつくったストーリーではない。だれもが犠牲者でも加害者でもない。

 

妹との別れから30年、ある霊能力者によると彼女は生前の思いを残すことなくすぐ成仏して次のところに行ったらしく、あの人らしいなと納得すると同時に、わたしも100%生きているよん、と天に向かって言えるようでありたい。

 

わたしはパートナーと笑ったり泣いたりを共有しながら残りの人生を味わっていきたいと真に願う、だからまず自分自身との最高の関係を築くことをやっていく。愛。



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